(1)誕生そして再建

白百合同窓会は、会員の教養と生活を向上せしめ社会的地位を高めると共に、会員の親睦と母校の発展のために尽くすことを目的として、1期生入学当時から国吉司図子先生を中心に組織作りが進められ、昭和43(1968)年第1回の卒業式の日に会長山川敏子、副会長国頭芳子、その他10名余の役員で発足している。

同窓会は発足当時から小さな校内売店を持ち、教科書、学用品、飲み物等の販売そして、卒業式用の袴の貸し出しを行っている。

しかし、この事業は平成元年で終わる。他に同窓会会報の発行や保育園経営も行っていたが、保育園経営についてはいつ閉園となったか資料がなく不明のままである。会報は暫くの間不定期に発行され、平成11年より年1回の定期で現在まで発行されている。

女性の場合、卒業後の就職や結婚により団体活動への参加が消極的となり、同窓会の活動も限られた人達で行うような状況で、組織の運営が困難となっていく様子が、これまでの資料から伺える。

昭和60(1985)年3月には卒業生も5,299名となり、卒業後は企業や教育界、福祉分野で活躍している方々も多い中、発足から17年間同窓会活動はなかなか盛り上がらず停滞したままであった。

昭和60年に記録された資料によると 学校側の砂川学長より組織を再建してほしいとの声があり、崎山トミ子が呼びかけ人となって、同窓会再建準備委員会が昭和61(1986)年1月に発足している。

1986(昭和61)年1月22日第1回同窓会再建準備委員会は会則の改正について話し合い、4回の準備委員会を開き同年2月16日 白百合同窓会再建総会を開く。総会において、崎山トミ子が会長に選任される。

(2)白百合同窓会再建から10年を経て

再建と同時に学園の20周年記念事業に向けて取り組み、寄付金や、記念館ホールの緞帳を寄贈する。平成8年度は30周年を迎え種々の記念行事が執り行われ、同窓会も協力し、学園との結び付きも深まった。

しかしながら、年を追う毎に同窓会会員は増えたものの、またしても役員の成り手がいない、会員への連絡網がないため会員の把握が難しい等で活動が困難な状況となる。

(3)厳しい同窓会活動を乗り越える

幾度となく会員名簿の作成に取り組むものの女子大同窓会の会員の把握が難しい理由として、卒業生の名簿を卒業の時点で作成しても卒業と同時に就職や結婚で住所、苗字が変わり、本籍地に問合わせてもなかなか現状把握が出来ないという難さがある。

平成26年3月までの卒業生は14,801名となったが、会員名簿の作成が不十分なため、思うように組織的な活動ができないのが現状であった。

再建から今日まで会員名簿の作成を第1の課題として歴代の役員が取り組んできたが難渋し、進まない。

しかし、学園が2016(平成28)年には、創立50周年を迎えるので、50周年記念事業は同窓会としても協力したく、2014(平成14)年に選任された役員は組織強化を喫緊の課題とし取り組む。組織を強化するには事務体制を見直し、専従の事務局員を配置する必要があると考え、学園の理事長、学長に相談する。その結果、学園の配慮により、2014(平成26)年6月より非常勤の事務局員を配置することが出来た。お陰で遅々として進まなかった名簿作成が徐々にではあるが整備され、平成30年10月時点で3000名の会員名簿が作成された。

また、新校舎には後援会・同窓会共有の部屋も準備され、組織の活動をするに十分な環境が整ったと言える。環境が整うにつれ組織への期待感も増し、同窓会結成50周年記念事業の取り組みの声が上がった。執行部は短期間の取り組みではあったが、平成30年6月10日に盛大に結成50記念式典・祝賀パーティーを開催し、会員の気持ちのつながりを強くすることが出来た。

これからも、60周年、80周年を目指し土台作りをしっかり行い、後輩の会員に引き継ぎたい。

(平成30年9月記 学園創立50周年記念誌掲載に加筆)